内省

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2018年 Vtuberの"女"視聴者はどこにいたのか

2020年ごろ→2018年を振り返って書いた文章を無事発掘したので公開します。

本当はフェミニズム系のなんかに乗っけてもらう予定でしたが、私が締め切りや連絡をブチりまくってお蔵入りしたやつです。(最悪)

当時の空気に対して批判的に書いていますが、微妙な居心地の悪さ(というほどでもなく違和感があったみたいな感じ)を面白さが上回ったからそこにいたわけだし、トータルで楽しい界隈だったと思います。

ほぼメモ書き状態だけどいま推敲するものでもないのでそのままコピペしました。

 

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Vtuberの"女"視聴者はどこにいるのか」

 

Vtuberとは

 2D3D問わず、仮想のアバターをまとって活動をしているコンテンツの総称。2017年頃から火のついたコンテンツで、初期はYoutubeでの動画配信を主体としており、現在もその呼称が引き継がれている。ただし、現在は、動画、ライブ配信音楽配信等、活動の主体は様々である。非実在のキャラクターをアバターとして活動する個人・団体を総称し、「V」、「Vの者」という呼び方もみられようになった。

今回は「2018年ごろ配信主体の男性Vtuber」と「女視聴者」との関係性について掘り下げていく。

2018年頃の男性VTuberの立場とそれをとりまく視聴者

当時(現在もではあるが)、Vtuberと呼ばれるコンテンツで活動しているのは女性が多く、それに伴い、ファン層は男性メインだった。

アイドル路線の女性Vがいる一方、乙女ゲーや男性アイドル系統といった“女性向け”コンテンツに登場するような、性的魅力を備えたかっこいい”アイドル”という方向性で活動するVは少なく、面白さを前面に押し出した、芸人やゲーム実況者寄りの“非アイドル”的なキャラクターで活動する人が多かった。

女性Vtuberが主にアイドル-オタクといったアイドル文化を踏襲した集団を形づくる一方、男性Vtuberはアイドルというよりも、『話が上手くて面白いオタク』を前面に押し出した活動をする人が多く、結果、である配信者を中心としたオタク集団特有の内輪で盛り上がるような雰囲気があった。その中で、配信者本人が「僕に女の視聴者なんてつきませんよ」と発言したように、女性の視聴者は存在していたにもかかわらず、いないように扱われているように感じた。また、そういった空気を受けてか、自ら男オタクのような口調でコメントをし、女であることを悟られないようにしている人がいるのをみたことがある。

どうしてそういったことが起きるかを考えたときに、VTuber界隈に限らず、”男性オタク集団らしい”風潮があったからではないかと思う。それは、女オタクをいないものとして扱ったり、腐女子や夢女子として男オタクから見て「違う生き物」として、コミュニティの外側へおくような空気の作り方である。

〇男性VTuberを好きになる女オタク

大手事務所に所属するVTuberの男性比率が増えた2020年現在、今更女視聴者がいない、という人はいないだろう2018年であっても、男性Vtuberの女性視聴者がもちろん実在することなんて、SNSを見ていればわかる。人気の配信の切り抜きを作っている人、絵を描いている人視聴やの間で名を知られている女性視聴者もいた。配信者側がたまに漏らすアナリティクス(視聴者の属性の内訳)のパーセンテージを見ても、男性が多いというのが常だったが、100%ということはない。少数であっても、そこに女性はいるのである。

けれど、気づいてないことにする空気があったし、インターネット上の男性にありがちな口調ばかりがコメントに並ぶ。

女性視聴者が透明化された理由を明確に示すのは不可能に近いが、筆者が思い当たる2つを取り上げて説明をする。

1つは異性の視聴者がいない方が面白いから。もう1つは女オタクが、配信者を「アイドル化」して楽しむ、異なる集団だとみなしているから(同族のファンとしてカウントをしていないから)であると考える。

1つ目について、個人の女性視聴者がいることが自明の理だったとしても、「女性視聴者」という集団がいると表立って触れられないことが、いないことになっているほうが面白いという風潮が確かにそこにはあった。「恋人ができない」ルサンチマンが一定の層にウケるのと同様、異性に選ばれないさみしい人間という状況は、互いの弱さを許容しあうオタクホモソーシャルにおいて面白く、好ましいものであると推察される。そこで「すきです♡」と異性から行為を向けられようものなら、たちまち恵まれている側の人間となり、もはや連帯できない裏切りものとなってしまう。配信者をモテない面白い人間にしたい視聴者にとっては都合が悪いので、女視聴者はいないという雰囲気を醸成するし、女視聴者も積極的に隠れることとなる。

2つ目にかかってくる問題は、恋愛対象の性の配信するコンテンツを好きになることは不純なのか、コンテンツを理解する資格がないのかということだ。異性の発信するコンテンツを消費しているとき、「正しく楽しんでいない」というジャッジを下されることがある。「そういう目で見ているから、コンテンツの本質を楽しんでいるわけではない」という誹りを受けるのは、Vに限らない話ではあるが。

(締め出される観客‐客席から見たお笑い‐』引用?)

腐女子や夢女子といった消費の仕方の実が違うものとして、マス層に外付けさる。いるけど、違うものとして扱われる。ただの”住み分け”として機能しているのであれば問題ないが、「女にこの面白さはわからない」といったミソジニー的な見方が全くないとは言えないのではないだろうか。

 

〇今の生配信Vtuber界隈

そこから2年がたち、コンテンツ自体がかなり大きくなり、男女関係なく視聴者が増えていった。どうあっても、エンターテイナーとして矢面に立つ以上、アイドル的な推し方をする人は現れるというところに落ち着き、結果、同性にしかウケないというネタはウケなくなり、わざわざ男が、女が、と言われることはなくなった。集団が大きくなると、各視聴者層も肥化する。一つの層をなかったことにする空気を醸すのには無理があったのだ。

私自身が界隈から離れてしまったため、細かいディティールをつかめている自信はないが、大枠は前述の通りだと感じている。

当時、本人の「僕に女のファンなんてつきません。」という発言は、「女であることを悟られないようにコメントした方がいいなー」と女オタクに思わせるには十分であった。須くファンを認知したうえで感謝すべしとは思わないが、その時抱いた感情は、シンプルに認知されたいとは別のベクトルにある、ここにいてもいいと思わせてほしいという思いだ。コンテンツの対象ではなく、楽しむ才能がないと言われればそれまであるが。

そんな配信者でも、今では明確に女性をターゲットとした企画にも出演しており、これまで述べたことはもはや過去のことと言っていいだろう。

 

それで、女性ファンの透明化問題は解決されたのか?ただ夢女子や腐女子とみなすような外付け化が進んだだけではないのか?界隈自体の思想が変わったのか?いや、単純に大きくなった分子を無視できなくなっただけではないか?とりあえず、男女比が均されると、強制的に居場所はできるみたいだ。エンターテインメントとターゲティングは切っても切れない関係ではあるが、裏返すと「○○(特定の属性を持つ人)には△△の真の面白さはわからない」という排除の思想につながる。「この面白さを理解できるのは自分だけ」という優越感をファンに与えることにより、よりコンテンツへの依存度を高めるにはある種有効な側面があるだろうが「閉じコン」化する危険も孕む。純粋に”コンテンツ”にのみよって信仰と疎外が生まれているうちはいいかもしれないが、性別という要素が挟まってくると厄介になってくる。「俺らにしかわからない」は「女にはわからない」には変化し、ミソジニー的な偏見コレクションの一つに加えられる可能性があるからだ。

鶏が先か卵が先か論になるが、そもそも「俺らにしかわからない」がミソジニー的な偏見に支えられているのでは、という疑念を前提として、界隈の以前の風潮についてここまで文章を書いてきた。あくまで、私が一時通った界隈を例に挙げての話ではあるが、悲しいことに、透明化される女オタクはたくさんの界隈にいると思う。多くのシスヘテ女性の特性(男性を性的対象として認識する)がコンテンツを楽しむにあたっての壁とならない世界を望む。←トランスやアセクをを無視してしまっているかも

 

(生配信中心のVというコンテンツはその人そのものを消費することと大差がない。表立ってスタッフが介入することは少なく、配信者と視聴者の距離が近いゆえのグロテスクさがそこにはある。配信者の人生を、人間性を手軽に偶像化し、消費できてしまうからだ。(おそらくそんなのは承知の上で活動をしているのだとは思うが。)異性が抱く感情のみを不正な消費とみなのではなく、同性同士であろうが、そこの自覚は持ったうえで消費をするのが妥当ではないかと考える。)