内省

自己中

卯月コウの信仰をやめた

※ほぼ自分語り

※主観

 

 

あくまで偶像にすぎないのに、それを本物だと思ってしまったのが本当に良くなかった。

 

2018年の8月から2019年の夏くらいまでの自分は間違いなく卯月コウを信仰していた。アイシーを取り下げることを表明して、アイシー が消えて、少し経ったあたりまで。

 

ただ、2019年6月22日のエモグランプリアフターグロウで、冷水を浴びせられたと感じた。

 

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ひとしきりお便りを紹介した後、コウはこんなふうに締めた。

「一度提供した場所の、不変ではなくて、俺の空気感とかセンスを好きになってほしい。これはズルだけど。」

「同じガムじゃなくて、俺がリリースするガムを噛んでほしいってことだね。」

「昔を肯定してあげるけど、幸せになりたいとか掴みたいものがあって行動した結果みんなの前に降り立って前回のエモグランプリも生まれたわけで。」

「っていうか、エモグランプリにこだわってることもきしょいっていうか、普通に好きだからやってることに対して重荷に感じるのもあれなんだけど、あの…。」

「ガム食え!!!」

文字起こしだと伝わらないけど、慎重に言葉を選んでいたんだろう、言葉を詰まらせながら話していた。

 

ちょうどアフターグロウの少し前、みんながどんなふうにコウを信仰しているか知りたかったから「コウ察企画」をTwitterで実施した。

一応コウ本人はブロックしてたけど、捨て垢からかなりの長文DMで怒られた。人の性格や内面を勝手な憶測で決めつけるのは良くない、というようなことが丁寧に書かれており、全面的にその通りだった。そしてごもっともであるがゆえに萎えた。そんなものは100も承知で、卯月コウのオタクが、彼に何を投影しているのか知りたかった。卯月コウを感じたい、というのもあるし、オタクの自分語りを聞きたかった。卯月コウへの期待はその人のコンプレックスの裏返しとも言えるし、共感はその人そのものかもしれない。

とはいえDMの内容が正しいのは紛れもない事実だし、コウから新しいガムを噛めというお達しがあったこともあり、「こういうの本当によくないんだろうな」と強く感じたためやりとりの場をDiscordに移し、ひっそり公開した。

 

私は、リスナーに「うちにいろ、そういう奴らのためにうづコウランド(※)を建設するから」「全員歩けなくしてやるよ、将来めちゃくちゃになってくれ」って言ったり(【Vtuber最動物決定戦】新PC作戦会議&esportどうぶつタワーバトル【チーム卯月コウ視点 0分ディレイ】(現在は限定公開、6:12〜より。)

コウボーイやコウガール企画でオタクの煮詰まった感情を捌いたりする2018年のコウが好きだった。

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ソロ配信が至高だと思っていたし、ダメなオタクを囲い込んで、ダメなエピソードをエンタメに昇華してくれて、ダメな自分達を鼓舞するのでも、慰めるのでもなく、ダメだと認めた上でそれはそれで良くね?と新しい角度から肯定をくれる教祖様のコウに夢中になっていた。

これはよくない推し方だという自覚はほんのりあったけど、卯月コウを崇拝する自分自身に酔っていた部分もある。

 

より最悪なのは、コウを教祖様として崇めると同時に過剰な同一視もしていた。今は同一視化などふざけたことはできなくて、当時があまり思い出せないけど、逆張りの感じとかオタオタな部分とか、エピソードひとつひとつに「俺じゃん!」みたいな感じになっていたと思う。

双子百合あるあるトピックとして「別離からの半身を失う痛み」みたいなのがあるが、成長するコウを見送るのは、それに近いものがあった。

 

2019年後半のにじさんじのメンバーとゲームをやっているコウをあまり好きになれなかったし、配信を楽しめないがゆえ居心地の悪さでいっぱいだった。

自分自身がコウにとって重荷になるであろう視聴者像そのままに思えて自己嫌悪も加速した。

 

※うづコウランド…社会不適合なオタクにチューニングされた架空のテーマパーク。中身については視聴者企画でお便りが集められた。

個人的にはSeedsマフィアというボイスドラマ作品で登場した「縦一列ジェットコースター」(52:28~)(ぼっちのオタクにやさしい)が好き。

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とはいえ、アイシーの投稿で反省したことを忘れた。

2019年6月23日におなえのリアイベが秋葉原のmograで開催された。アイシーが投稿されたのはその前日、2019年6月22日の23時で、無事OD組リアイベのチケットを手に入れた私は夜行バスに乗るところだった。窮屈なバスに揺られながらアイシーを聞いて、「嘘じゃなかった」と繰り返す伸びやかなコウの歌声と配信者としてのこれまでに想いを馳せ、涙を流していた。

歌詞はぼっちぼろまるさんとコウの共作で、いつかの配信でどの歌詞がコウなのか、紐解いてくれるのが楽しみだった。おなえどしの要素が散りばめられているのも嬉しかったし、暗闇も悪くないって言ったり、それでも光に目が眩んで泣きそうになったり、コウが選んだ言葉だと思うと、ひとつひとつがキラキラ輝いて見えた。脳汁ドバドバで本当に気持ちよかった。

 

薄暗がりいるコウが光を掴んだ瞬間のエネルギーに感動している癖に、いざ新しい道を進んでいるコウを素直に追いかけられないのはなぜだったんだろう。

そのあとアイシーを取り下げる旨がツイートされた。6月29日のことだった。作曲側とのトラブルではなく、権利周りの問題でもないということだけが申し添えられ、本当の理由は今でもわかっていない。

アイシーをなんで取り下げたいと思ったのかは一生わからないだろうからこそ、いつかジャンルが変わっても、卯月コウのことは一生心に残る気がする。

 

アイシーが消えたことにより本当に自分って迷惑なオタクだなということをひしひしと感じていたが(それも自意識過剰で気持ち悪い)、コウのことは好きで諦めきれず2019年秋口まではだらだらと彼を追っていた。

コウが好む「ダメな人」から離れていく健康な自分も嫌だったし健康であるために長時間の配信を全部追えないのも嫌だった。

「コウ、変わっちまったな…」は反転アンチの常套句だが、実際のところ、変わったのはコウではなくて自分だった。2019卒と呼ばれる代で無事就活を終え、大学というモラトリアム期間が終了し真っ当な社会人になった時期だ。当時はコウの客でなくなってしまったことが本当に本当に寂しかった。

決定打はパンコウじょのポケモンだった。「みんなはストーリーやるだろうから違うことしようかな」って言ってたのに、逆張りを楽しみにしてたのに、人気ライバーとストーリーをやるという王道ど真ん中の配信をしたことがショックだった。

というより、その配信が面白くて、ファンも増えて、コウ自身もオタクもコラボしたライバーも楽しそうなのが素敵で、そんな配信をなかなか追えないのが悔しくてしょうがなかった。

 

最近になって、『ガチ恋粘着獣』を読んだ。7巻48話で林檎が恋人と映画に来ているにも関わらず、「推し」の配信が始まって心を乱されるシーン。ここを読んで私はコウの配信が見れないのに見れている人がいるという事実が悔しかったんだ、とすごく腑に落ちた。

 

初めての仕事、初めての繁忙期、長時間配信なんて当たり前に見ることができず、私は大学生の時のようにVtuberを楽しくだらだらと見ることはできないんだとようやく悟った。

しばらくコウを見るのはやめようとふんぎりをつけることができ、その後は、心の隙間を埋めるようにしてプロデュース101JAPANにのめり込んだ。

夢と希望に溢れた若くて見目麗しい男性を巨大な資本力で使い捨てにしていく様は最悪で爽快で感動した。

それに、あまりにも生身すぎるVtuberに疲れた私にとって、リアルさをウリにしつつもほどよく加工されていることが保証されてる人間ドラマは安心して摂取することができた。

 

卯月コウの配信を見る頻度は減ったが動向は薄目で見ていたのでEgNで発狂するオタクは観測していた。2019年12月のクリスマス。わかるよその気持ち、と肩を叩きたかった。わかるわけないだろ、と殴られそうだけど。

私はどっちかというと発狂オタクくんをこき下ろして高みの見物をしているオタクの方が嫌だったので、それを文章にしてnoteに投稿した。

noteもう下げてしまったけれど、当時はある程度の人に見てもらったことで、結果承認欲求が満たされたしそれで満足してしまった。

 

そのnoteではコウから離れた、みたいなことを書いたけど結局2022年の今もコウの配信を見ている。プデュとJO1の新規ハイも落ち着いたのが大きい。自分のツイッターを見返すと多分3Dお披露目が一つのきっかけでそれくらいの時期に復帰したよう。雑談やシャニの配信で脳を慣らしつつ、雪月花でやっぱ好きだな〜と強く思った。あと友人とApexの大会を同時視聴してああだこうだ言ったのも健康に楽しめてよかった。

結局、社交してようがゲームしてようが、コウの言葉選びが、感性が好きなだなと思う気持ちは変わらなかった。

比較的面倒くさくて言語化が妙にうまいオタクなところが好きだ。遅刻とかはするのに、生み出すコンテンツには誠実さを見せるところも好きだ。

誇張されたオーオタネタを擦ったり、個人で歌ってみたをやらない理由としてカラオケ音源なのがちょっと、と言葉を濁したり、公式な録音の時は納得するまでリテイクをだしたり、音楽に真摯なところも好きだ。

 

今は、キモい信仰を(ある程度)やめられた、と思う。でも彼の発言を切り出して都合のいいところを拾っていくのはやめられない。

私が彼そのものだと思い込んでいたものはただのはりぼてだったけど、コウの言葉を大切にしたいのはずっと変わらない。はりぼてを解体して、ノートに貼って、スクラップブックにしている、というのが今の感覚に近い。彼の言葉は私を確かに救ってくれるけど、そこに卯月コウはいなくて、あくまでもわたしが手づから拾い上げた言葉のかけらがそこにあるというだけだ。

そんな当たり前のことに気づくのに時間がかかってしまった。

 

最後に、ごく最近のフカマル小糸配信(2:56:14〜)からコウの発言を抜粋する。

 

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「Vの場合は自分で自分を救うための手段であって、その過程として、時として居場所になればいいし、でも俺は、常に自分のためであるべきだと思ってるから」

「その自分のためってのはその時々で変わっていくから、視聴者にとっての居場所じゃなくなる時が来てもそれはそれで自然なとこだと思う。」

「ここがお前の居場所だと視聴者に思わせたくないというか、その、お互いいいように、やっぱ使っていきたいね。」

 

私はこれを聞いて、とても嬉しかった。

コウが自分のために配信をやっているというのはもちろんだけど、居場所と思うかそうでないかはコウの感知することではなく、あくまでその時のオタク側の感情であることをバッサリと切ってくれたからだ。

はっきりと突き放して線引きをした上で、こちらを向いてくれるのはきっと優しさだ。

これからもコウがコウのために楽しく配信をしてほしいし、面白そうなことをやってるな〜と思った時には私もコウの配信で楽しくなりたい。

あくまでリスナーとして、彼が彼のために生み出した楽しみを享受できればと思う。

同時接続数の"1"として、彼の原動力になれるのであればそれが最高だ。

 

 

〜〜

>2022.10.2 追記

 

FantasiaDay2に現地参戦した。

まず最初に驚いたのはコウの歌が上手くなっていること。元々音域も広く、声も真っ直ぐ飛ぶし、ビブラートも綺麗ではあったが、力強さが感じられる歌声に進化していたと思う。

選曲については言うまでもないが、一緒にアルバムを見返すような気持ちになれるライブだった。

「今までは自分のために配信をするっていう自分なりの考えというか、それがかっこいいと思うし、そういう姿勢を崩さないようにと思ってきてたんですけども、このライブを通じてちょっとはみんなに返していきたいなと思いました。」

最後の挨拶、返したいと思ってくれたこと自体がデカすぎるファンサだった。

 

暗がりにいたコウに惹かれた人も大勢いて、持っていない側に引き留める声も大きかっただろうし、そういう層にコウが何を思っていたのかは分からない。

でも、脱法ロックを当時とは違う解釈でなぞることで、後ろ向きで楽しい思い出を過去にすることができた。

今思うと、3Dお披露目くらいから負の気持ちを抜くことができたのはコウが過去を「あった」と認めてくれたからだと思う。

配信で名取とちばを招待して、2018年に俺たちがいた夕暮れの教室を再演してくれた時のように、過去と今は違うけど、なかったことにはしなかったのが嬉しい。

今のコウにエモさを求めるのは違うけど、あの頃に思いを馳せること自体は間違いじゃないと言ってもらえたような気がするから。

以前のお気持ちnoteでは好きなものを好きでいられないのが悔しくてしょうがない、と書いた。

今回は好きな人が華やかな舞台に立つ姿を見て幸せになれたこと自体が嬉しくてしょうがない。

これからも自分のペースでコウを応援していければと思う。

コウのこれからの日々が、健やかで幸せなものであることを切に願う。

 

𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬__

 

 

〜〜

感想配信でさらにお気持ちになってしまったのでさらに追記。

 

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「視聴者に自分の気持ちをわかってもらえなかったりとか、私生活での暗いことだったりとか、嫌なこととか俺にでもあることだから、別によくよく考えると、いくらお金もらってようが、いくら賞賛もらってようが、別にマイナスなことなんていくらでもあるし、元々の根っからの性格とか、夢を叶えたからこそ現実を知って絶望するみたいなものって、まあ自然なんだけど、俺が脱法ロックを今歌うにあたって、ダウナーな面するのは違うのかな、みたいな。」

 

コウはものすごく、「卯月コウ」という存在が視聴者とどう向き合うか、を考えている人だと思う。

不幸ぶって、隣にいるよと嘘をついて昔のコウに固執するオタクを慰めることはしなかった。昔やったように、低みに降りて「俺も一緒だよ」と語りかけることは嘘になると言い切った。こういう誠実さが好きなんだと思う。

「ギリギリのタイミング」、「かつてより確実に明るくなってるし、幸せになってる」という言葉もあった。過去の自分と今の自分は別の人間というのは世間的によく言われることでもある。乖離しつつある中でその時の自分やオタクの暗さをコウがわかってやれるギリギリのタイミングだったのかなと思った。

新しいガムを差し出してきたのが2019年。これが俺だ、と思い切り幸福パンチでぶん殴ってくるのが2022年。

殺すより残酷かも、と言っていたのはその通りだと思う。

コウも変わったし、自分も変わったから、喜んで頬を差し出せるし、殴られた後の脳の揺れが治らなくて、幸福感でぐらぐらしてる。

 

これまでコウに3通の手紙をだしてきた。

私は認知されたいので、毎回同じ便箋、封筒にしていたけどいつのまにかその柄が廃盤になってしまった。

未練がましくも残っている店がないか探していたけど、今がちょうど良い切り替え時なのかもしれない。